私の家は、本家に隣接した家で、本家の第一の分家であった。そんな関係が、隣村の漁師村の子供たちにも知られていたのかどうか知らぬが、漁師の子供たちは、しきりに私を親分格に祭り上げていた。そのことが、例の商家の子供親分の感情を刺激することが多いので、私は漁師の子供たちにたのむように、私を親分あつかいにしてはならぬ、とおさえていた。けれども気の早い漁師の子どもは、しばしば承知しなかった。おそらく腕力の実力においては、商家の子ども親分など、眼中になかったものも事実いたようである。
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