むろん、浦人の住むところにあった。浦人というのは、当時の海運業者、網元、運送船乗組員、舟大工、海産物仲買商など、みな海に関係のある生業の人々であるが、自ら漁労に従事するものは、ほとんどいなかった。その浦人の町は、築出町と呼ばれていた。私の家の本家が、この浦人の町の頭梁⁽¹⁾であった。本家は、千石船を二隻もって、この地方の海運業を、一手に営んでいたとともに、隣村の漁師全戸を、その支配下においた、大網元であり、また壱岐での最大の地主でもあった。
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【注釈】
1)頭梁(とうりょう):組織やグループの中心という比喩表現。