当時、私が一番信頼し、愛着していた友人が、クラスの中に一人あった。それは漁師の村の少年であった。私が対馬に移ってから、何年かの間、しきりに文通していた唯一人の友人である。相川末四郎という少年であった。
私が岐阜にいたころ、たしか今から二十年ばかり前に、壱岐に帰ったとき、本家の庭で本家の主人と鍋をかこんで、ビールを飲んでいたら、何かそこに運んできた男は、間違いなく相川であった。
「おお、相川じゃないか」と私が声をかけたら、
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