top of page
私の61.JPG

 私の世代ごろまでの郷里の意味と、私の子どもたちの郷里の意味とは、何か本質的に異っているように思われる。これは、私だけに特殊な、世代的相違ではなく、私と同一の年代、またはそれに近い年代を最後として、その次の世代以下との間には、何か大きな断層があるように思はれる。私と同一の年代までの日本人の体験や意味は、百年も二百年も前の日本人たちと、あまり異なっていないようなものであった、と思うのであるが、私の子どもたちの世代から、郷里に限らず、言葉の意味が質的に異なってきたように思う。家中心の社会から、職場中心の社会に移行したのである。私の狭い経験からいうと、

bottom of page