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娘たちには、もう岐阜の記憶はない。二人のうち、上の方は、京城での生活が、思い出しうる一番古い記憶である。下の方の娘の記憶では、朝鮮から引き揚げて二年間ばかり、仮り住まいした、伊豆の山小屋の生活が、思い出しうる、最も古い生活である。

 右の二人の娘の上の男の子の記憶には、岐阜時代の、最後の住宅、すなわち岐阜高農の官舎が、最も古い記憶として残っている。その男の子は、小学校二年まで、岐阜で過ごしたのである。官舎の生活は永かったので、その前の加納⁽⁵⁾に住んでいたころを記憶している子どもはいない。

​私の郷里

​P59

【注釈】

​5)加納:岐阜の地名

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