なる。
私の子どもたちは、みな岐阜の時代に生れたのであるが、郷里の意識は、一人ひとり異って居る。子どもらの郷里の意識は、住宅を中心としているものらしく、物心ついたころの住宅の付近の、はなはだ狭小の地域だけが、子どもには、郷里と思われるのであろう。私は岐阜に在住十九年の間に、五軒の家に住んだ。平均して約四年である。子どもたちの記憶の内に残って居る、自分の最も古い生活とそのときの家は、ほとんど一人ひとり異なっている。私の一番末の二人の
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