された収容所に移っていた。そこに住むことがまた、一、二年もあったであろうか。その時も、兵隊が彼らを監視していたことは、前と同様である。
朝夕、四、五名の兵隊が、毎日交代に、護衛に兵営からそこに行くのを、よく見ていた。
にわかに彼らの姿は、見えなくなった。いろいろ不気味なうわさが、少年たちの間には、とんでいたが、たしかなことは、私は知らない。
当時、厳原に生活していた人ならば、右の程度のことなら、だれも見聞きしたのであるが、少年の心にも、何か見てならぬものを、見ているような気持で、眺めたことを覚えているし、また、今でもそん