朝鮮人たちの一団が、前後を着剣した兵隊に監視されながら、運動にでも出ていく姿をよく見たものである。みな五十代か六十代を過ぎた老人たちに、長い羊のようなあごひげをはやしているものが、大部分であった。みな朝鮮特有の帽子と、白衣を身につけていた。この朝鮮人の一団は、三、四十人くらいもあったと覚えている。あれは、政治犯の人たちだと、私たちは聞かされていた。おそらく、日韓合併に反対した人たちであったのであろうか。練兵場にあった収容所に住んでいたのが、二、三年間で、そのあとは厳原の氏神八幡宮の社地に隣接した、屋敷内に急増