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対馬に長期にわたって滞在していた行使の歓待の宴には、とうぜん婦女のサービスが考えられる。同様の場合における、諸外国の歴史的事象がそれを示しているのでのって、米田庄太郎⁽²⁾先生のすすめにしたがって、私は二回の夏休暇に、その点を調べてみたことがある。私が京都の大学院にいたころで、最後の行使の接待に加わったことのある老女から、直接、当時の行使接待の模様を聞きだすことができた。その結果は、まったく意外であった。婦女たちはもちろんのこと、藩庁の人にも、朝鮮人に対しては、表面では充分に礼を重んじたけれども、民族意識はなはだ強く、社会的区画は、まった
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