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にもないのかも知れぬ。

 江戸時代に将軍の代わる度に、朝鮮より公式の挨拶の使者の一行が、江戸に行った。その一行のことを信使といったが、信使は、まず対馬の城下町厳原に来て、対馬藩主宗家の専道によって江戸に入るのが例であった。この一行は、百人にも達し、対馬には、そうとう長期間滞在するのが常であった。六ヶ月も滞在したことがある。対馬滞在中に京城まで往復することは、よくあることであった。江戸からも、当時の一流〔?〕の漢学者が厳原にきて、漢詩によって、信使との交誼を深め、労をねぎらうのであった。

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