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移住40.JPG

私が中学の中学にいたころには、釜山の外に福岡や長崎からも、米を買い入れて売っていた。

 対馬は人口に比し耕地乏しく、旧幕時代から主食の大部分は、島外、特に釜山に仰いでいたし、終戦当時まで、つねにそうであった。ゆえに対馬では、米穀商は、必ず繁盛する理由が存していた。釜山の親戚のものが、最初二十俵⁽²⁾も送ったのは、お祝いのためでもあったろうか、酒造米の余りでもあったのか、これで商売すれば必ずよく売れることを知って、商売をはじめさせようとの下心をもって、

​移住と母

​P40

【注釈】

2)二十俵:約1200kg(1.2トン)の米。1俵は通常、約60kgの米。

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