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移住41.JPG

いたのかとも思われる。

 母は商売に興味をもち、還暦のころまで止めなかった。戦時中に八十六才で没した。晩年には、壱岐には友人はいないが、対馬には、親しい人が多数出来たので、対馬から動くのを好まなかった。母が余生を過ごしていた家は、対馬の殿様が、その生母のために建てたという、落ちつきのある家であった。

 母は一人娘であり、父も長男であったため、二人の結婚は、当時の戸籍法では、公認されなかった。そのため、兄が母の生家をつぎ、私が父の生家をついだ。

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