心配でならぬことであった。兄のあとには、まもなく私も中学に進まなければならぬので、祖母と母は悲愴な決意をして、家屋は祖母の弟一家に、何もかもをそのままに預けて、全家族をあげて、対馬の中学校のある町に移住した。
母が対馬に移住することに熱心であった一つの理由は、対馬に行くことは、父のいる朝鮮に近づくことであったからである。その頃まで父は、朝鮮の京城に住み、生きていたのである。母は父が死んだあとになって、対馬に行くことに熱心であった理由の一つに、父の居住していた朝鮮に近くなることをひそかに考えて、
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