移住と母
兄が高等小学校を卒業して中学校に入るべき時が来た。当時、壱岐には中学はなかったので、その頃までは壱岐の者で中学校に進むものは、長崎の中学校に行くのが例であった。しかるる、兄が小学校を出る一年か二年前に、対馬に新しく中学校が創設され兄の同級の者にも対馬に志願する者が二三名あった。しかし兄より上級の者で対馬の中学に入学している者は一人もなかった。対馬は長崎に比すれば比較にならぬ位、距離が近いし、交通の便利もはるかによかった。しかし見ず知らずの対馬に少年を一人遊学させる事は、当時の祖母や母にはとても