top of page
父27.JPG

父や叔父が生れた家があったところは、この辺だと叔父に教えられたところは、麦畑になっていた。大正の中頃の話である。そのとき私は、生まれてはじめて父の生家のあったところを訪れた。父の生家の外に、その辺には昔は何十戸も、士族屋敷が立ちならんでいたことを教えられた。当時まで、そこに、ただ一軒たけ残っていた家があった。その家は、侍には違いないが、ずっと前からも、大工などを内職にしていたような、最下級の士分の家だったんだと、叔父がいった。明治政府になってから、桑名藩のものは、大部分、他地方に移住したが、残っていたものは、ほとんどみな、箪笥造りになった。しかし、父の家も、もともと高碌で

​父(私の父と妻の父)1

​P27

bottom of page