top of page

狂気のような心境にあったものと思います。私は当時を記憶しています。私が、直接記憶しているのではなく、兄の話を聞いて、自分の記憶のようにしてしまったところものでしょう。けれども、今もうすうす母の姿とともに、そんな狂気じみた生活は、三年間ぐらいも、つづいたのです。兄が同伴した日も、あったこともあり、私一人が母につれられていたこともあります。私はむしろ、楽しいことだったようです。母は私の手が、万が一の奇跡によって、人並みの手に戻ることを、祈り得るあらゆる神仏に、死にもの狂いになって祈ったのでしょう。これは、はた目には、とても痛々しく見えたのでしょう。当時を知っている、母の知人が、当時のことを話しかけて、すぐ話をそらした素振りから、私にはよく、わかったすあります。
私が小学校に入学したとき、母は私の手に手袋をはめさせました。私の手の異様な形を、人前にさらすことを、堪えがたい不憫だと思ったからでしょう。私はそれから、尋常小学校⁽⁴⁾、高等小学校⁽⁵⁾を、通
bottom of page