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△博多の大病院というのは、今の九大の医学部で、私の手を治療したのは、ドイツ人の先生であったと聞きました。私は半年近く、その病院の手あてを受けたのです。右の手の五本の指は、とうとう第二関節あたりから切断されるより、仕方がなかったのです。母は進歩した偽肢の活⁽³⁾を病院で聞いて、そこに希望をもって退院したのだそうです。
博多の病院を退院して、壱岐に帰ったあと、母は私をおんぶして、毎日の様に弁当を持って島内の村々を歩きまわりました。神社やお寺や路傍のお地蔵さんなど、神仏の別なく、ただ、おがむことのできるところなら、なんでもおがんで廻るという、半
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