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手袋15.JPG

十年の始め頃までには、定期の汽船が、私の島にもかよい始めてはいたようですが、数日おきであったから、急場の用にはたたなかったのです。急病のために博多の大きな病院に行く場合などには、冬の玄界灘⁽²⁾をも、小さな私船で櫓を漕いでいくより外はなかったのです。島にいた漢方医は、私の大きなやけどを見て、一刻も早く博多の大病院に行って治療を受けるように指示したのでしょう。真冬の玄界灘を、私は母とともに私船で渡らなければならなかったのです。〔▲次ページはここに挿入〕船子が三人と親戚の者一人と、それに母と私とは、木の葉のように奔弄される、小さな私船の中に、命を託して、とにかく無事で、やっと博多に渡ったのです。

​右の手袋

​P15

【注釈】

2)玄界灘:福岡県と長崎県の間に位置する海域で、北側にある対馬海峡と南側にある壱岐水道に囲まれている。玄海灘は漁業や航路の重要な場所である。

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