てきた学生の中には、よくない事情の者ばかりではなかった。当時の九州各地の中学は、伝え聞くところによれば、そうとう殺伐な事件に明け暮れていたふうであった。大きな対校の、集団的な喧嘩騒ぎも、よくあったが、校内での、小さな刃傷ざたは、耐えることはなかったようである。転校してきた生徒の中の何人かは、そんな手合いの少年であった。私らは、そんな生徒から、大喧嘩の話を聞くだけでも、小さくなる ような気がした。朝鮮の中学から転校してきた生徒の中にも、相当、世間ずれた
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