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自慢のヨットで乗り廻した記憶もある。それは、今より六十年近い昔のことで、そのヨットは、当時の釜山で、唯一隻しかなかった、我時代の先端であった。たしか大阪製であった。何によらず、釜山の文化は、私らには、大都会と我時代を、誇示しているかに見えた。明治の末年、日韓合併前後⁽¹⁾のころから、大正の中ごろまでのことであったと記憶する。鮮人の家の草屋根に対照的に、やたらに赤煉瓦の建物の多い日本人の家の 構えは、植民地的な威嚇のように思えたはずであるが、私にはまだそんなマセた考えは、むろんなかった。我時代と大都会が、そうさせるのだ
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