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桑名の城が、維新の戦い⁽⁵⁾でせめおとされたときは、会津若松の城が、激戦の後におちたときのように、白虎隊のような、絶壮な物語を残しているのではなく、官軍が桑名に討ち入る前に、降状の使者を、官軍におくり、平和の中に城をあけ渡すことを官軍に約し、ゆえに、せめてお城だけは、そのままにして残してもらいたいと願ったのであるけれども、凶暴な官軍は、藩士たちが見ている前で、城に火がつけられ、焔々ともえあがる火の手の形を行って、直な錦の旗をたてたのだったそうである。そのとき藩主や藩軍の本隊は、幕軍とともに、東北で皇軍と戦っていたので、桑名城を守っていたのは、少数の藩士たちであった。

私の父の父も、妻の父の父も、ともにそのとき泣いてい

​妻の生家と私の生家

​P111

【注釈】

​5)維新の戦い:1868年から1869年にかけて行われた一連の戦闘で、江戸幕府と新政府軍(薩摩藩・長州藩勢力)との間の内戦。

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