郷里は、明らかに壱岐の島の郷之浦である。私の子どもたちは、まだ壱岐の島の郷之浦には行ったことすらない。
郷里というものが、どう解釈されようとも、本人にとって一番なつかしい思い出は、自分の記憶に残っている一番古いころの生活である。そしてそのころの体験を伝えうる人は、それほど多く残っていないので、自叙伝の客観的価値も、もしあれば、記憶に残っている、もっとも古い頃の生活、すなわち郷里での生活に、もっとも多いはずである。
人は皆生まれたときも、一人ぼっち、死ぬのもまた一人ぼっち、ふるさとも一人ひとり別にあるもの当然である。