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民俗の前哨
日本海海戦の時⁽¹⁾には、私は壱岐に住んでいたが、たしか高等小学校の一年であった。私は大砲の音が気味が悪いので、裁縫をしていた母の傍からはなれなかった。大砲の音は障子のガラスをビリビリ震はしていた。母は裁縫をしながら、昔、蒙古軍に壱岐が占領された時の話をした。そのときには、この島は、たった3人生き残っただけで、あとのものは、殺されるか、船べりにぶらさげられて、博多に連れて行かれた。両手の掌を、ふなべりに釘づけにされてぶらさげられたと
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