父(私の父と母の父)二
桑名藩の少年たちが、地方の旧家に養子になっている事例が、私の身辺に多く見られるので、それが佐幕藩における、明治初年ごろの、一つの流行のように考えられるのではあるけれども、私の父の場合から考えれば、それはただ、結果的に流行のようになっているだけであって、意識的にそれを追った流行ではなかったのである。
父は外国に渡る希望をもって、桑名から四日市を経て、長崎にきたのである。長崎までは、来て
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