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工仕事をしていた。同じような家が、何軒か並んでいたが、みな大工仕事をしていたようである。
私の父も、恐らく妻の父も、桑名義塾⁽⁴⁾の出身で、青年時代には、一ぱしの青雲の志もあったのであろうことは、板ガラスの、父の青年時代の、写真の裏に書いた、父の文字を見てもうかがわれるのであるが、明治維新のとき、幕軍にかわり、天皇に立ち向った、桑名藩の青年達のためには、明治新政府は冷酷で、いたるところで門を閉じていたのであろう。
私は桑名城が天皇軍によって占領されたときの史実は、歴史家の書いた記録を読んで知っているのであるが、明治政府が桑名の藩土たちに
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