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陸地は松がところどころに生えている小■山で、平常は牛が放牧してあるところである。
その丘陵が、その日は人であった。
出征兵が大部分、上船したころから、いよいよ出帆したときまで、何時間ぐらいあったか、よく覚えていないが、両岸の丘陵の上の人の黒山の中からの、大きくするどい泣き声は、ひとときも、やむことはなかった。御用船の甲板の上で、狂乱して戦友たちに鎮撫されている者の姿も見えた。時がたつにつれて、恥も外聞も忘れた泣き声は野放しになり、正に生き地獄の景色であった。
海の上も空気も木の枝も泣きからすばかりの泣き声をあとにしながら、御用船が逃げるように出て行ったあの悽愴な光景は、今も私の頭の底にこびりついている。これは日露戦争⁽⁶⁾の時の話である。
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