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 挑や桜など、春の花が咲きはじめるころが、私の村では、凧あげの最盛期であったが、子どもたちは、もっと寒いころから、凧をあげていた。私は家から三丁ばかりしかはなれていない、長徳寺山と呼んでいた、小高い岡の上に行ってあげるのが、常であった。近所の少年たちにも、みな長徳寺山が、凧あげの場所にきまっていた。ちょうど都会の公園や、大邸宅の庭にあるローンと同じような芝生が、自然に生えていたので、寝ころんだり、角力をとったり、飛びまわって

​日露戦争の思い出2

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