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妻の生家と私の生家
私の妻の生家には鯉旗⁽¹⁾も武者人形⁽²⁾もなく雛壇もなく、書画骨董⁽³⁾もなく、神壇も仏壇もなかった。琴もなく三味線も尺八も、笛一本もなかった。信仰というものもないが、迷信というものもない。妻は茶も花も書も身につけていないだけでなく、現代の器楽の何一つもこなしていないし、声楽についての親しみもなかった。それは妻の生家だけではなく、その村一円に、そんな空気がただよっているのを今ではよく知っている。その村の青年団は、村の長老によって統制される、村塾ともいうべきものであった。そこ二宮尊徳の精神⁽⁴⁾とまったく同一の教理によって支配されていた。健康に注意し、互いに和睦し、勤倹につとめ、財をつみ、家の発展につとめる。それが、修身の道で、それに反するものは、みな邪道であるというのである。
妻のそんな生いたちをだんだん知るにつけ
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