私はこの二人をしみじみと見入って、右のような観察の結果を得たのではない。それほどか、この聖女のような感じのする娘と、その父親の正面に座っている自分の姿が、何かしら恥ずかしく感ぜられ、もじもじして正視することすらできない気持ちであった。だから私が彼女たちを見たとしても、ほんの唯一眼か、あるいは一瞬ずつ、何回か、それとなしに見たにすぎないのである。
家に帰ってその話をしたら、俺もその電車に乗って見ようという奴があった。青山から日比谷に来る電車であった。
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