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ったのであろう。私の父が、婿養子となってきたのは、明治十一年か二年であると思う。国会の開始は、当時の佐幕藩の青年たちに、どんなにか大きな夢をもたらしたに違いない。ちょうどそのころに書いた、父の手紙に、改進党⁽⁵⁾に入党した時の感激を、■はているものがある。官亭を閉め出された佐幕藩の青年たちにとっては、国会の開始は、中央に進みえる、唯一の機会だと考えたに違いない。地方の名望家に婿養子となることは、その機会をえるための、最もよい足場である。私の父や妻の父や、その兄などが、地方の名望家に婿養子に入っているのには、そんないわば一種の流行があったのではなかったと思うのである。
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